ナイン・ストーリーズ・オブ・ゲンジ
レビュー ![]() ベニーだけでも元とるぜ
もう、「末摘花」ですよ。三行おきに爆笑。本読んでここまで笑ったのは初めてってくらい面白かった。源氏物語で爆笑する必要があるのか・・・っていったら別にないんでしょうけど、私のような素人が源氏物語に興味を持つとっかかりとしてはサイコーだと思います。原文読んでみたいと思いましたもん。天才すぎる。
次は「柏木」。女三宮がわざと姿を柏木に見せたという発想、桐野さんらしい。たぶん目線を変えて解釈してみたのは桐野さんだけ(素人なものでいいきれない)。 あとは直訳と何が違うのかが素人にはわからないものが多々あったり、どこがその作家らしいのかわからなかったり、源氏物語を知っていないと楽しめない章もけっこうあります。私のように高校の古文の時間以来、源氏物語なんてことば聞いた覚えないって人には読むのが辛い章があります。 どっちかにしてほしかったですね。私のような素人むけに導入編として興味をわかせてくれる訳なのか、もう知り尽くしてる人が「こういう解釈もあったのか」って楽しくなる訳なのか。知り尽くしてる人なら逆に町田さんの末摘花にムッときたりするのかもしれません。逆に私がただの訳とどこが違うのか分からなかった作家さんの訳に関心して唸ったりして。素人向けか玄人向けか、コンセプトを決めてから作家さんに依頼したなら全ての章を楽しんで読める人が多かったでしょうに。 そういう意味では桐野夏生は凄いなぁ。ぜんぜん知らない私でも最初の五行くらいの原文訳(全ての章についてます)を読んだだけでどういう解釈をしたのか分かったもの。知ってても知らなくても楽しめます。天才すぎる。 町田康だけでも読む価値がある。
まずは、企画の勝利。
源氏物語のそれぞれの巻を下敷きに、口語訳する人あり、独自の物語をつむぐ人あり。 多彩で、楽しい読書ができる。 源氏を読んだことがなくても、きっと楽しめるのでご安心ください。 9個あるので、どれも長さが短く、飽きないで読みすすめられるはず。 個人的には、他のレビューでも書いてありましたが、町田康が一番すごかった。 彼の創作する世界の感触とフローに惚れ直しました。ぜひ読んでください。 町田康はもう絶対に読んでほしい
私的なベスト3は、第三位・金原ひとみ。若夫婦・光と葵が直面する葵の出産。怖い。ごく普通の出産が、物の怪なんかよりずっと怖くてリアル。葵のマタニティー・ブルーを、光は理解できない。ごく普通の愛し合う夫婦なのに。男と女はこうして千年わかり合えずにいるのだとリアルに感じてしまう。胎児の性別を聞いて、なぜかパニック状態に陥り、光に悪態をつく葵に対して光のかける言葉が「葵、やめなよ。赤ちゃんに聞こえる」。千年経っても男はこういう無神経さをさらけ出す。
第二位・桐野夏生。女三宮が過去を振り返る。かつては光源氏と言われた貴公子だった六条院様は“祖父というには早いですが、歳を取り過ぎて”いて、女三宮は“幼い時の紫の上様”と比べても“今の紫の上様”と比べてももの足りなく思われ、“六条院様に何度も叱られ、貶され、しているうちに、自信のない縮こまった”気持ちになる。老いて嫌みったらしく、嫉妬深くなっていく光源氏の描写は秀逸で、驚くばかり。みごとな黒源氏だ。 そして第一位・町田康。ファンの欲目を差し引いても、すごすぎる。末摘花に対する源氏の思い込みや妄想が町田節で展開するのだが、もう本当にこの人の日本語は凄いです、一字一句めちゃくちゃおもしろい。読んだそばから読み返します。末摘花の琴を他の部屋で聴いていた源氏が、命婦に「もっと聴きたいんだけど。っていうか、向こうの部屋で聴きたい。襖越しだと音がミュートされてよくわかんない」と言うと、命婦が「でもどうでしょうか。こういう貧乏な生活してるから服とかもあれだし、いま紹介するのって向こうに逆に悪い感じがするんですけど」と答える……ああもうっ、絶対読んでほしい。源氏や頭中将の嫌らしさも絶品で、ラストはなぜか一気に虚無的に。最高。 あれ?気がつくと、嫌な源氏ばかりがおもしろい。原典がとにかく源氏はベリークールって刷り込みだから、少し食傷気味だったのかも。
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クリエーターは「江國 香織」「松浦 理英子」「角田 光代」「金原 ひとみ」「桐野 夏生」「小池 昌代」「島田 雅彦」「日和 聡子」「町田 康」です。 この商品を買った人は他にも「竹取物語」、「Feel Love Vol.5 (2009 Winter)―Love Story Magazine (祥伝社ムック)」、「左岸」、「女神記 (新・世界の神話)」、「夕闇の川のざくろ (ポプラ文庫)」、などにも興味を持っています。 びるま
レビュー ![]() 私をなにかと間違えているのだ
田舎の割烹料理屋にいわひさんと入った「私」は酔ったいわひさんに乳を触られる。「私」はその手をのけるでもなく、触れられたまま、
「かわいそうなひと/私をなにかと/間違えているのだ」(「割盃」) と思うのだ。このひとことで、乳を触れられたということが別のなにものかになってしまう。 「私」はなにかの「間違」いなのである。 なんだかわからないが、なにかの間違いとして出てきてしまったもの。なにかの間違いを読む、つまり詩である。
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