この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)
レビュー ![]() 戦争中の日常って、案外こんな感じだったのかも
何気ない日常を、なんだか妙に面白く、ほのぼのとさせてしまうこうのさんの今度の作品は、
「戦争中の日常を描く」 というもの。 日常と言っても、そこは戦争中。 しかも舞台は呉と広島という、戦争の被害を大きく受けた場所だ。 そんな中での日常は、今の我々から見るとまったくもって非日常なのだが、それがこうのさんの筆にかかると、 「あ、やっぱり日常なんだ」 と思ってしまうから不思議なもの。 しかも一つひとつの話にきちんとオチがつきます(笑)。 でも、当時の人びとの実際の気分も、こんなだったのかな、と思ったりもする。 どんなに理不尽な現状に対しても、それを種にして笑い飛ばしたり、物事を楽天的に考えたりして「オチ」をつけることで、苦しい状況を乗り切ってきたんじゃないのかな、などと思ってしまうのだ。 特に終戦後、台風で大きな被害を受けた後、主人公の家族がいっせいに笑い出すシーンが印象的だった。 笑わなきゃやっていけない、ということだろうが、それがまた人間のたくましさを感じさせた。 それほど暗くならずに読め、しかも多くのものを感じ取れる秀逸な「戦争もの」です。 漫画とは呼べない…絵草紙のような世界
ある新聞の日曜版だったと思いますが、作者のインタビューが写真入で掲載されていました。
その傍らには、浦野すずが籠を肩からかけ、瀬戸内海を眺めている情景を描いた(上巻の冒頭にある)イラストが挿入されていました。 家族とそのインタビューを読んでいた時、父が「広島と程遠い雰囲気だね」とつぶやきました。 たしかに言われてみればそんな雰囲気なのかなぁと思いつつ、ある日のこと本屋で手にとり、読みはじめるなり、浦野すずをヒロインとする物語に引き込まれて行きました。 漫画とは呼べない、絵草紙のような独特の世界が好きになりました。 広島に原爆が投下されるまでの数日、私の父は学徒動員で和歌山の海岸で本土決戦にそなえた塹壕を構築していました。 そこへ「広島に新型爆弾 相当の被害あり」と印刷されたビラが届き、学徒兵だからという理由で、多くの兵士の前でビラに書かれた文章を読み上げたそうです。 私は戦後生まれですが、修学旅行や友人との旅行で機会があるごとに、広島を訪れまてきました。 訪れるたびに、この事実を次世代にどのように伝えてゆけばいいのかと考えてきました。 こうの史代さん、次世代に原爆投下の事実を伝える絵草紙を届けていただき、ありがとうございました。 穏やかな日々に感謝したい気持ちが生まれる上巻
広島でのりの養殖をなりわいとする浦野家の長女すず。彼女が少女時代の昭和9年から、呉へと嫁いだ新妻時代の昭和19年7月までを描く上巻です。
こうの史代作というだけで内容については何の予備知識もないまま手にしたのですが、これはあの夕凪の街桜の国の姉妹編ともいえる作品のようです。それを思うと、これに続く中下巻の展開を想像して心に重いものを感じざるをえません。 ここに描かれる浦野家の人々、そして婚家の北条家の人々は、ささやかな日々を静かに生きています。2008年の世界に暮らす私の目から見るとはるかにモノのないあの時代に、多くを求めず、いたわりの心を忘れずに生きる彼らの姿は、清々しい思いを抱かせます。 多少のいさかいはあるものの、立ち直れないほどに相手を打ち負かす言葉の応酬はありません。あの時代なりの平たく凪(な)いだ毎日の連なりの中に、物語の大きな起伏はありません。そのありがたさに主人公たちも、そして読む私までもが、感謝したくなります。 そうした人生が壊れていく様をいやがおうにも目の当たりにせざるを得ないであろう中下巻へと進むことに、私は今大いに逡巡しているのです。 「冬の記憶」に出会えて、幸福でした。
わたしは、一瞬にして消え去ってしまった、もう一つの街を思いながら、よく広島市中心部の街並を歩きます。それは、どこにでもあるような、近所の駅前商店街などとそれほど大きな違いはない、庶民が行きかい、子供たちの楽しそうなはしゃぎ声がどこからか聞こえてきそうな、普通の日本の町並みであったことだと思います。「冬の記憶」、これは、そんな以前の広島市の中心街(中島本町、材木町など)が、舞台となっています。考証等もよく行き届き、繊細な筆致が当時の雰囲気をよく醸しています。とくに、戦時中に取り壊されたという、木製の相生橋が、とても印象深く描かれています。
ところが、「中」巻に入ると、このような、ノスタルジックで素敵な町並み・生活は一変し、暗く沈んだ、陰鬱なものに変わってゆきます。これが少し残念です。(表向きは、あっさり流しているようにみせてますが、わたしは、かなりひっかかるもの、不自然なものを感じました。) 戦時下の世の中を描くのに、よくそのような表現は使われがちですが、一般には、解釈を迫るような、極端な例が多いかと思います。実際は、この本に出てくるすずさん一家のように、銃後の生活に右往左往しながらも、暮らしはなんとか維持され、人間の営みもどうにか続けられていたようです。それが一変してしまうのは、敗戦直後ですね。これは混乱のきわみだったようです。ですから、「中」巻での戦時下の暮らし、町並みも、もう少し明るく(すずさんたちだけではなく、それ以外の世界も)描いてほしかったように思います。もちろん、原爆投下、東京大空襲、沖縄戦など、みわたせば悲惨なことはたくさんありました。要は、戦争のどの部分に、スポットをあてるか、の問題です。あらゆる面を一緒くたにして描こうとすると、偏った、いびつなものになってしまいがちです。 何よりこの「中」に関しては、著者独自の時代感覚とでもいうような、非常に主観性の強い解釈によって戦時下が描かれており、抑圧性、ネガティブ感覚などのマイナス性が少し強すぎる、やや、ゆがんだ日常(主人公たち以外の世界観について)になってしまっているのには、少し違和感を感じました。また、そのような時代設定に相対するかなりアンバランスでマイペース、視点がさだまらない(現代人の視点で世の中を見ている場面など、とくにすず、水原、周作たちのそれは甚だしい)主人公たちの浮遊した存在感が、とてもへんてこな、としかいいようがない世界をかたちづくっていて、一言で言えば、とても不思議な世界(けなげに生きている、というのにはかなり違和感あり)。これは著者自身が意図したものかどうなのか聞いてみたい気がします。また、セリフの感じから察するに(とくに、水原や周作)、映画化を前提に描かれているようですが?。 わたしは、こうのさんにはあまり政治的な世界には踏み込んでほしくないと思っています。もちろん、「夕凪・・・」のように、普遍性のある、特別な作品は別ですが・・・。あえていわせてもらえば、国民に支持されずに始まった戦争など、これまで存在しなかったし、戦時下の抑圧性なども、どの国であろうが同じようなものであった、ということです。国が豊かだったか、貧しかったか、の違いがあるだけです。(戦争は、もちろん支持しませんが、国民にだってその責任はあったと思います。この作品に片手落ちがあるとすれば、それは昭和16年12月が描かれなかったことです。あの作戦の成功で、国民のほとんどが「溜飲が下がった!」と、拍手喝采したではありませんか?また、日露戦争で賠償金が取れなかったことに対する国民の不満も、後の戦争に大きく作用しました。当初の国民の支持さえなかったら軍部はメンツを保つ必要がなくなり、戦争は早くても昭和17年には終わっていたかもしれません。組織など、概ねそんなものです。日本という国は、歴史的にも国内・国民の世論というものにはとても敏感だった国で、変わり目などには大揺れに揺れてきました。西洋型ではない、独特としかいいようがない民主主義的社会を歴史的に培ってきた国です。十七条憲法や五箇条の御誓文などがそのよい例でしょう。そして、国の国民に対する圧制・弾圧なども、たとえば同じ東アジア諸国やヨーロッパの国々などに比べたら雲泥の差があったと思います。一つ足りないものがあるとすれば、そういったことなどに対する国民自身の自覚でしょうか。これは教育のあり方やマス・メディアなどに内在する問題ともかかわりがあることなのですが。) これから先も、「冬の記憶」や「大潮の頃」、「波のうさぎ」のような作品を、もっともっとたくさん描いてほしい、と願っています。(これらの作品こそ、本当に平和の尊さを訴えるものです。) 歴史では教わらなかったこと、そしてDestiny。
こうの史代さんの名作「夕凪の街 桜の国」に続く本作、何のためらいもなく購入して、予想通り期待を裏切りませんでした。
30年以上前の高校の日本史では確か「満州事変」あたりで時間切れになって、その後はいろいろな情報が断片的にしか入ってこず、特に国家総動員法下の国民の「銃後」の生活がどのようなものであったか、今まで読んだどの資料よりもずっと説得力がありました。 「聖戦」の美名の下、如何に一般庶民が国家の歯車にされていくか、そしてその国家が如何に理不尽なものであるかを、時系列に刻まれるさりげない日常の中でうすうすと感じていくすず達。その一方では日々の暮らしに追われ、信じるものは戦艦「大和」に象徴される「負けるはずのない日本」しかなかったすず達。 いつの時代においてもこうの史代さんの、市民の目線から淡々と日常生活を描きつつ、その根底にある力強いメッセージが伝わる作風には感服させられます。しかも作者の正確な時代考証に基づいた本作は、一年後には無謀な海上特攻により撃沈される「大和」をはじめとする当時の軍艦の名称や原爆投下前の広島県産業奨励館(原爆ドーム)、紙屋町交差点付近の広電の描写などデティールへのこだわり、そして何よりもすずと周作の祝言の夜や防空壕完成後の雨の中の純愛シーン、思わず涙が溢れてきました。 今後、数次に渡る呉市への空襲、そして運命の20年8月6日に向かって物語は「喪失」へのベクトルが伸びていくことは想像がつきますが、こうの史代さんの一ファンである私は「夕凪〜」の結末のようにすず達の希望と再生を感じさせるエンディングを願って止みません。 ただし、60数年後の現在で「大和ミュージアム」の前に佇むすずの姿は観たくはありませんが。 余談ですが、物語を読みながら、戦前から教員をしてまもなく90才になる母から聴いた、戦時中に伊丹市(多分、伊丹製作所で航空機の部品を作っていたらしい。)で、勤労動員の生徒引率中に米軍艦載機の機銃掃射を受けたときの話を思い出しました。いつの時代も戦争の記憶は誰かが語り継がなければならないものですね。この平和をただ享受だけすることなく恒久のものとするためにも。
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クリエーターは「こうの 史代」です。 この商品を買った人は他にも「この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)」、「この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)」、「さんさん録 (1) (ACTION COMICS)」、「さんさん録 (2) (ACTION COMICS)」、「街角花だより (アクションコミックス)」、などにも興味を持っています。 |